大原敬子

大原敬子の非公式のサイト、ホームページが出ておりますが、一切、当事務所とは関係ありません。
大原敬子ホームページは当ホームページと30周年記念ホームページのみです。

 

大原敬子幼児教室の写真

大原敬子幼児教室所在地:北野アームス

大原敬子幼児教室写真

adress

 

contents

《30周年記念》
大原敬子写真近影2015年10月5日 近影

人生は風のように過ぎていく

わたげのように生きていきたい

大原敬子

大原敬子

 

《30周年記念》

加瀬初代国連大使・エレノア・ランバードとの出会い

teacher加瀬俊一初代国連大使 写真:朝日新聞社 – 『アサヒグラフ』 1951年9月26日号より引用
Eleanor Lambert 写真:Council of Fashion Designers of Americaより引用

《序文》
大原の翻訳本の中には常にエレノア・ランバートという名前が載っていた。
エレノア・ランバードとはどんな人なのか、私は調べた。

エレノア・ランバート:August 10, 1903 – October 7, 2003
プレタポルテの女王といわれたデザイナー。
CFDA(アメリカファッション協議会)より
年に1度最もファッション界に貢献した人物に
エレノア・ランバート賞が贈られる。
(Wikipedia Eleanor Lambertより引用)

エレノア・ランバード女史を調べるとそこに日本の加瀬という名前が出てきた。

She began sorting out the fashionable lambs from the
sheep for me, and gradually the message of Yuen or
Japanese elegance, began to sink in. A woman, I learned,
can look as overdressed in a kimono as in any other costume.
She can also look as out of date. Ornate, overcrowded
patterns are out, delicate spiral or border designs are in.
It’s the thing to wear an under-kimono of the same silk
weave printed in a contrasting color. Mme.
Kase’s kimono was pale blue decorated with a mauve diagonal
band on which were white and pink flowers.
(May 12, 1965 The San Bernardino County Sun
from San Bernardino,California · Page 18より引用)

記事には、女主人「加瀬」の着物について書いてある。
さらに調べていくと、加瀬初代国連大使夫人であることがわかった。
加瀬初代国連大使とはどんな人なのか、私は調べた。

加瀬俊一:1903年1月12日 – 2004年5月21日
初代国連大使、外務省顧問、内閣総理大臣(吉田、佐藤、中曽根)顧問を歴任。
第二次世界大戦終結時、戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印に随行。
佐藤栄作ノーベル平和賞受賞には国連大使だった加瀬俊一のロビー活動が
寄与した。佐藤も日記の中で加瀬への謝意を表している。
(Wikipedia 加瀬俊一より引用)

加瀬初代国連大使とエレノア・ランバード女史は同じ年に生まれ、
同じ時代を生きた人であることがわかった。
加瀬初代国連大使の著書のひとつに『晩年の美学』という本があった。
そこに大原敬子の名前があった。

私は、アメリカ政府に招待され、ホノルルのイースト・ウエスト・センターの客員教授として、
一年滞在することになった。1970年のことである。今は亡き妻・寿満子を同伴した。
このとき、敬子さんが志願して同行したのである。
敬子さんは、まさしく、私の家族の一員であり、寿満子亡きのちは、私の親友でもある。
(「晩年の美学」より引用)

kkk2悲願だった国際社会復帰から2015年10月24日、国際連合が創設70周年を迎えた。

kasesensei日本の国際加盟を審議する国際総会を見守る
重光葵外相、加瀬俊一初代国連大使(左から3番目)

加瀬初代国連大使と大原敬子。
エレノア・ランバード女史と加瀬初代国連大使。
エレノア・ランバード女史と大原敬子。
はじめて3人が結びついた。
美の本質の源流はエレノア・ランバード女史にふれて、見て、
先生は学んだとわかった。(齋藤)

 


大原敬子

 

大原敬子事務所公式

大原敬子事務所公式お別れの会 喪主:外交評論家 加瀬英明氏(中央) 総合司会:大原敬子(写真右)

 

 

《30周年記念》

アーサー・ゴールデン・ザルツバーガーとの出会い

 

 

 

《30周年記念》

2000日回峰行・酒井雄哉大阿闍梨との出会い

1000nichi
あきらめない心を学ぶ。

比叡山飯室谷不動堂にて。

 

 

 

 

大原敬子
大原敬子大原敬子

大原敬子

大原敬子

大原敬子

大原敬子大原敬子大原敬子

大原敬子

大原敬子事務所公式

大原敬子事務所公式

素晴らしい先輩の出会いがありました。

先輩は米国、マスオリンピック大会で優勝し、
毎年お教室に来て、数学と英語を教えてもらいました。
教室の子どもたちもみんなこの先輩が憧れの君となり勉学に励みました。

     『わたげのように生きていきたい』

大原敬子(2014.10.22)2014.10.22撮影

大原敬子公式エンブレム

30周年記念
第2章『食と文化』

大原敬子公式HP
大原敬子公式

大原敬子公式

大原敬子公式

親が願う子どもに育てる大原式 大原とめ教育理念
満たされる食と考える力を育む

大原敬子公式

「蒔いた種のように花は咲く」

お母さん、あなたはどんな気持ちで子育てをしていますか。

「立派に育て」と蒔いた種は、人を批判する花が咲きます。
「成績一番になれ」と蒔いた種は、傲慢な花が咲きます。
「人の評価を意識しろ」と蒔いた種は、自分を見失う花が咲きます。
「あの人に負けてはだめよ」と蒔いた種は、憎しみの花を咲かせます。
「一流になれ」と蒔いた種は、逃げる、避ける、言い訳をする花を咲かせます。
「お金ですべて解決できる」と蒔いた種は、不安と恐れを抱く花が咲きます。
「あの子と遊んではダメ」と蒔いた種は、偽りの心の花を咲かせます。

「時間をかけて考えれば大丈夫よ」の種を蒔けば、信じる心の花を咲かせます。
「笑顔がうれしい」の種を蒔けば、優しさのわかる花を咲かせます。
「元気が一番」の種を蒔けば、生きる強さの花を咲かせます。
「あなたがだ〜いすき」の種を蒔けば、愛する心の花を咲かせます。

人生は、蒔いた種のように花が咲くといいます。
愛する心の種を蒔けば、世界一の倖せの花を咲かせます。
あなたにとって、倖せを感じるときは、どんな時ですか。

「おいしい!」と感じた時、人は心の充足感を得ることができます。
倖せとは、とても、とても、小さなこと。
そして自分だけに感じるものです。

温もりのある食卓は「ふる里」の香りに似ています。
どんな豪華な食卓よりも、夕焼け空、ススキの穂、リンドウの花、母のつけた漬物…。
そして人家の灯り。
そうしたふる里の世界に身をおいたとき「生きてよかった」という歓びの心が湧きます。

ふる里に人が恋うるのは、そこに、母にも似た想いがあるから。
そこに、たたずむ母に心がふれたとき、ひたひたとしみわたる安らぎ…。
それが愛です。

年月が経っても変わらないでいてほしいのは、

母のにおいとふる里…。

母のみ胸に飛び込めた時の倖せの言葉。それは…
「お母さま!ただいまー!」